仕方なく選択した実業団選手の道

幼い頃の私の夢「オリンピック選手」これは半分本当で半分虚像の私。

競技が好きなことは間違いなかった。ただ、目指す先はオリンピック選手だったのだろうか。

もちろん高い目標はあっていいが、そこに至る道は「茨の道」に決まっている。

過酷なことも理不尽なことも乗り越え、特殊な才能をもった限られた選手が立てる場所。

そんなことは幼いが故にもわかっていたことだ。私の夢でもあり、両親の目標だった。

そう。私の夢ではあるが、私の目標ではなかった。

そんな私もスパルタ指導の一家に育ったため、全国でもそこそこの選手に成長することができた。

今思うと親に感謝している。中学までは無名の少年だったが、高校時代は良い指導者、チームメイトにも恵まれて徐々に結果がでるようになってきた。

インターハイ・全国選抜・国体、大きな大会は決勝の舞台に進むことができた。

その結果もあり、大学では名門大学に進学することができた。だが、そこで自らの力のなさを痛感した。

ここは選ばれた選手が集う場所であり、その先の実業団はさらに過酷な未来が待ち受けている。

そう思い、大学卒業後の進路は競技を引退し、就職活動1本で勝負する。そんな覚悟をもっていた。

両親にも伝えた。競技は引退する。

そんな私に待ち受けていたのはリーマンショック翌年の大恐慌。就職氷河期であった。

毎日毎日就職活動をし、エントリーシート、企業説明会の参加、面接試験、などなど、数十社を受験した。

結局内定をもらうまでにはいたらず、時間ばかり進んだ。

選択肢のなかった私は先輩の所属する実業団チームから誘いをうけ、その道に進むことになった。

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